『セッション』
2015/4/19(Sun)@TOHOシネマズららぽーと横浜
<スタッフ>
監督:デイミアン・チャゼル製作:ジェイソン・ブラム
ヘレン・エスタブルック
ミシェル・リトバク
デビッド・ランカスター
製作総指揮:ジェイソン・ライトマン
ゲイリー・マイケル・ウォルターズ
クーパー・サミュエルソン
ジャネット・ブリル
脚本:デイミアン・チャゼル撮影:シャロン・メール
美術:メラニー・ペイジス=ジョーンズ
衣装:リサ・ノーシア
編集:トム・クロス
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
<キャスト>
マイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン)
J・K・シモンズ(フレッチャー)
メリッサ・ブノワ(ニコル)
ポール・ライザー(ジム・ニーマン)
オースティン・ストウェル(ライアン)
ネイト・ラング(カール)
予告編。クソッタレ!!
★★★★★★★★★☆(9点)
※今回は恐らく、ネタバレの部類ですね。観るつもりが無い人(是非観てほしいですが)と既に観た人向けです。
この映画、一番の謎は「先生、なんでそんなにキツイの?」ってトコですよね。「自分がバンマスであるコンサートをぶっ壊してまで生徒を虐めるかね。。」って、鑑賞後の興奮が冷め、数日経ってぼんやり思ってました。
「あのチャーリー・パーカーだって10代の頃、ジャム・セッションでヘマをやらかし、ドラマーのジョー・ジョーンズにシンバルを投げられ、観客から笑われながらステージを降りた。その夜、彼は泣きながら寝たが、翌朝から来る日も来る日も練習に没頭した。もしあの時にシンバルを投げられてなかったら、我々の知っているのあの“バード”(チャーリー・パーカーの愛称)は生まれていない※」
JKシモンズ演じる鬼教師は、このエピソードを引用し、生徒のマイルズ・テラー君に「スパルタの必要性」を諭している。でもこの場面、本当にマイルズ・テラーに理解して欲しいなら、チャーリー・パーカーではなく、自身が経験した成功例を話すべきではなかろうかね?
ここから察するに、JKシモンズ先生は、うわべの成功は数多くあれど、自身が音楽を通じて実感した「成功体験」は未だ無いのではないでしょうか?それが「謎のブチ切れ行動」に繋がっているっていう解釈をしました。
一方、スパルタの標的となる生徒を演じるマイルズ・テラーは、音楽(演奏)が本来持ち得る「楽しさ」なんて二の次。とにかく有名になってやるというミスター・ハングリー。今の自分にとって大事なのは全米一(つまり世界一)の音楽学校の一番のバンドでドラムの主奏者となること。その為には邪魔になるものは全て排除するし、越えなければならないものはどんな手を使っても超える。彼女だって要らない(かわいいのにもったいないよ!)。ライバルの、命の次に大事な譜面だって捨てちゃう(偶然とはいえ、チャンスを掴んで「ニター」だからね)。
ただ、そんなバカなんだけど、彼の爽やかルックスも手伝って、見ていてそんなにバカに見えないんだよね。特に「(JK先生)お前遅刻だな。罰として今回は演奏を見送れ。どうしても出るというなら1回でもミスをしたら退学な。クソ野郎。」っていう無茶ぶりに対し、即答で「出たるわい」っていうくだりは、観ていて前のめりにさせられました。そこまでいくとほんと痛快なんですよね。
そんなメチャクチャな2人なんですが、僕はJKシモンズ先生の「謎のスパルタ」そしてマイルズ・テラー君の「ハングリーさ」にのめり込みっぱなしでエンディングを迎えましたよ。
エゴすれすれの野心(逆かも)が交錯するエンディングのセッション。その中でJKシモンズ先生はマイルズ・テラー君に若き日のチャーリー・パーカーを垣間見た瞬間があったと思います。そしてマイルズ・テイラー君には、越えるべき最大の壁に「ついに手を掛けた!」と感じた瞬間があったと思う。このセッションが終わった時、2人に待っているのは決して前向きではない「現実」。何せもう先生と生徒でも無いし。でも!その僅かな、本当に僅かな「(お互いが鏡になり)自身に希望が持てた瞬間」そこに圧倒的な熱量を感じました。その熱量を感じただけでこの映画はグッジョブなわけで、解釈も前向きになるわけですよ!
町山智弘さんと菊地成孔さんの『セッション』論争も熱い(お二人のブログ参照)ですが、これは是非、劇場で鑑賞していただき、自らの意思で善し悪しを判断していただきたい映画です!あー面白かった!
※このエピソードの真偽については下記参照